れとろげ。

ファンタジー風創作小説『ようこそ麒麟亭へ』

2003年03月07日

ゼンマイ仕掛けの魔法

人形のようにお生きなさい、と母は言った。
 穢れも老いも知らぬまま、美しく。
 私は腕を取り替えた。
 それは白くて綺麗な腕と。
 
 人形のようにお生きなさい、と父は言った。
 決して涙を流すことなく、常に笑みをたたえて。
 私は瞳を取り替えた。
 透き通った綺麗な硝子玉と。
 
 人形のようにお生きなさい、と彼は言った。
 歩いて何処にも逃げられぬように。
 私は脚を取り替えた。
 冷たく細い綺麗な脚と。

 人形のようにお生きなさい、と誰もが言った。
 私は心を取り替えた。
 痛みを感じる装置を捨てて、
 手に入れたのは永遠の幸福。


       ――『ウサギエル書』 第十四巻7節

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● 私は人形好きですが、ブライスやスーパードルフィーのように
 最初からいかにも愛玩用に製作されました、みたいな人形にはあまり萌えません。

 たとえばお店のマネキンや、デッサン人形や、
 見世物に使うパペットやマリオネットのような、
 目的ある道具としてつくられたものが好きです。
 そんなのが、用済みとなって廃屋に放置されていたりすると最高ですね。怖いけど。

 人の似姿を持ちながら、愛することも愛されることも知らず、
 ただ凍った時間をその身に刻み続ける。
 個人的にはそれこそが、人形というものの不思議な魅力だと思うのです。


 そんな様々な人形たちの中でも、とりわけ異質な存在が“自動人形”でしょう。
 時計やオルゴールで培われた技術を取り入れ、ギミックによって動く人形です。
 音楽を奏でたり、ダンスをしたり、ペンで字を書いたり……。
 機能的なようでもあり、芸術的なようでもあり、技巧的なようでもあり、
 これ以上ないほどの確かな存在感を持ちながら、どうにも掴みどころが曖昧なオブジェ。

 最初、呪術の道具として生まれた人形は、
 宗教を経て芸術彫刻となり、あるいは家庭に入って愛玩具となりました。
 その一方で、道具としての人形に対する余計な思い入れを排したまま
 何らかのテーマを表現しようとして行き着いたのが自動人形なのではないでしょうか。


 歯車とゼンマイから紡ぎ出される旋律と舞踏、
 つくりものの箱庭の中で、偽りの法則によって語られる真実のこと。

 今夜も彼らは、愛することも愛されることも知らぬまま、
 同じ愛の物語を何度も機械的に繰り返すのでしょう。

 人を模してつくられたのが人形なのならば、
 実はそんな姿もまた人間の投影なのでしょうか。




※ガンダムなどのフィギュアも大好きです。



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Posted by 白川嘘一郎 at 00:00 │ウサギエル書