れとろげ。

ファンタジー風創作小説『ようこそ麒麟亭へ』

2008年07月05日

ガーターベルトとストッキング ~新妻とメイドと女王様編~

さて、続きです。
更新頻度が高いように見えるこのブログ、
実は失踪中にいろいろ書き溜めたものを小出しにしてるだけなんで
べつに分割する必要もないし、
もはや誰に向かって語りかけてるのかすらよくわからなくなっておりますが、
これからもコピー&ペーストを頑張っていきますのでよろしくお願いしますicon12


前回お話したガーター騎士団の伝統は、現在でも受け継がれています。
有名な英国の最高位の勲章、ガーター勲章がそれです。
先日はウィリアム王子の叙勲で話題になりましたね。
ガーター勲章

創設時の人数にちなんで、常に26名にしか与えられないこの勲章は、
伝説そのままにガーターの形状をした勲章で、
“Honi soit qui mal y pense”
の文字が記されています。

(そもそも英国なのになぜフランス語? と思われるかもしれませんが、
 エドワード3世の時代、宮廷ではフランス語が用いられていたのです。
 そもそもエドワードはフランス王シャルル4世の甥だったりして、
 非常に入り組んでいてややこしいのですが、このへんの事情が百年戦争の原因となっているわけです)

歴史に従い女王と皇太子もガーター勲章を所有しており、
王室の紋章にもこのガーターが描かれているのですが、
実は明治以降の日本の天皇も、代々ガーター勲章の受勲者です。

ガーター騎士団を祀るウィンザー城の聖ジョージズ・チャペル内にも、他の紋章に並んで菊の御紋が飾られているそうで。
天皇陛下は、ああ見えて英国最高位のナイトなのですよ。
馬鹿にしてはいけません。「かばう」のアビリティとか使えるんですよ!
こういうこと書くと右翼と左翼のどっちから怒られるんですかね。両方か。


えー、話を戻しまして、
ストッキングやガーターベルトは一体いつごろ出来たのか? という問題。

こんな資料がありました。
http://www.naigai.co.jp/05mos/items/07/index.shtml

また、初代エリザベス女王(1533~1603年)が初めて絹の長靴下を履いたとき
「もう二度と布製の靴下は履きたくない」と言ったという記録もあります。

……ということは、やはり中世にはすでに、
絹は贅沢品だったにしても布のストッキング(というか長靴下?)は一般的だったのでしょうか。
そうなると、必然的にそれを留めるガーターも存在したのでは?

結局のところ、資料がほとんどなくて、しかも意見がバラバラなのでガーターベルトの起源は謎のままです。
何かご存知の方がいらっしゃいましたらぜひコメントしてください。
ガーター着用の画像でもいいですよ! と言いたいところですが、本当に送ってくる人(♂)がいそうなんで、やっぱいいです。
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Posted by 白川嘘一郎 at 07:45Comments(3)屋根裏のアーカイブ

2008年07月03日

ガーターベルトとストッキング ~人妻恥辱プレイ編~

画像1
男心を惹きつけてやまない魔性のアイテム、ガーターベルト
この独特のコンセプトと形状を持つ下着がどのようにして生まれたのか、気になったことはありませんか?
……うん、まぁ普通はガーター姿の女性を見てそんなこと気にしませんね。

しかし私はどうしてもガーターベルトの起源が知りたくなったので、
図書館やネットでいろいろ調べてみました。
でも情報が少なすぎて、今ひとつハッキリしないんだよねぇ。




ただ、ガーターと言えば歴史的に有名なのが、
イングランドのガーター騎士団。

これは、ジャンヌ登場以前の百年戦争において息子エドワード黒太子とともに英国を優勢に導いた王、エドワード3世が創設した騎士団です。
ガーター騎士団という名前は、次のようなエピソードに由来していると言われています。


 とある宴で、エドワード3世がソールズベリ伯夫人とダンスをしている時、夫人のガーターが外れて床に落ちてしまった。
 当時は大きく膨らんだスカートで脚を完全に覆い隠すのが淑女の美徳とされており、ガーターと言えど公衆の面前で下着を落としてしまったに等しい。
 恥辱にうろたえる夫人と、思わず失笑してしまう周囲の人々。
 ところが王は、動じることなくガーターを拾い上げ、それを自分の左足に巻くと、

 「Honi soit qui mal y pense(これを悪しと思う者は恥じるべし)」

と周囲に宣言し、夫人の面目を守ったという。



現代日本人の感覚ではあまりピンと来ない話ですが、
とにかく当時は王のこの行為が騎士道精神の鑑だということで、
1年後に結成された騎士団のシンボルとなった……というわけですが、これはどうやら作り話のようです。残念。

画像2
確かに、王と黒太子を合わせて総勢26名の騎士たちは、
揃って左脚の甲冑の上にガーターを巻きつけていました。

しかしそもそも靴下とガーター(画像1のようにウェストから吊るすのではなく画像2のように膝下に巻いて留めるもの)というのは男性の装飾品として始まったもので、当時の女性は身に着けていなかったのでは? という見解もあります。

シンボルがガーターなのは、味方の識別と結束を示すという意味があったのでしょう。
左脚に巻かれていけば、馬上で武器と盾を構えていても確認しやすいからです。


つづく。

ちなみに画像2のようなタイプは、まだゴム入り靴下が開発されていない昭和初期の日本で実際によく使われていたものだそうです。紳士用のね。   



Posted by 白川嘘一郎 at 23:33Comments(0)屋根裏のアーカイブ

2004年01月01日

白百合と十字架


私の脳内では常に聖処女ジャンヌ・ダルクブームですが、
最近(註:2004年当時)、巷でヒットしたものと言えば
『ハウルの動く城』と『ドラゴンクエスト8』。

魔法使いにかけられた呪い、人が鳥やその他に変身する魔術、月の丘と異界への扉……。
これらは英国発祥の児童文学ファンタジーに共通して多く用いられるモチーフであり、
そしてさらにその根底にあるのは、英国地方に深く浸透した妖精物語や
アーサー王伝説など、ケルト文化の伝承です。

そしてまた一方でケルト文化は、
指輪物語→ダンジョンズ&ドラゴンズ→ウィザードリィ、ウルティマ→
という流れで日本のコンピュータRPGの源流ともなっています。

つまり今の日本でファンタジーと呼ばれる概念はほぼ全て、
元をたどればケルトの神話・伝承の影響の上にあるのです。

万物に精霊が宿り、魂が現世と異界を行き交うケルトの宗教観は、
日本人にとっても非常に馴染みやすいものだからでしょうか。



ところが、そうやって間接的に日本に大きく影響を与えてきたケルト文化が、
日本で一般的に認知されはじめたのはごく近年になってからです。

たとえば、とある世界史の教科書には、「ケルト」という単語はわずか2回しか登場しません。

なぜか?
それは、ローマ・カトリック教会の徹底した排他主義によるものです。

「争いを否定し、人は神の意思にのみ従うべし」という教義を闘争と支配によって押し付けるこの奇妙な宗教は、
ヨーロッパ中の土着宗教を根絶し、わずかにごく一部が歪んだ形で吸収されるのみ、という状態にしてしまいます。
かつてはフランス・ドイツ・イタリア・スペインと西ヨーロッパ全体に広まっていたケルト文化もまた例外ではありませんでした。

そんな中、海を隔てたウェールズ・イングランド・アイルランド・スコットランドだけが、
島国であるがゆえにケルトの文化をなんとかキリスト教と共存させたまま残すことが出来たのです。


先に挙げたアーサー王伝説の後半部では、テーマが“聖杯の探求”という実にカトリック的なものとなっていき、
そして、戦で瀕死の傷を負ったアーサー王が湖の妖精たちによってアヴァロンの島へと運ばれていくという結末はまさにこのことを象徴していると言えるでしょう。



さて、そんな“島のケルト”とはまた別に、
大陸の一部でもわずかにケルトの香りを残した地域がありました。

たとえばフランスのブルターニュ・ブルゴーニュ地方――
そしてジャンヌ・ダルクの生まれ育ったドンレミ村もそこに含まれます。
さあ、いよいよここからが本題ですよ。

ドンレミ村の近くには“妖精の木”と呼ばれるブナの古木があり、
ジャンヌは他の子供たちと一緒に、その木のまわりで遊んだり歌い踊ったりしたりしていたと言います。

後にカトリック教会はこのことを持ち出して、ジャンヌが魔女であるという根拠にしようとしましたが、
実際に「神の声を聞いた」と主張するジャンヌのメンタリティ形成には、やはり知らず知らずにケルト文化の影響があったものと思われます。

ジャンヌは誰よりも無邪気にキリストの教えを信じていましたが、
感傷的な見方をするならば彼女の存在には、
カトリックによって歴史の闇に葬られようとした“大陸のケルト”の最後の抵抗という側面も見てとることが出来るのです。

(それが彼女の背負った悲しい矛盾のひとつでありますが……)。

そして最終的にジャンヌを死に追いやったのは、敵国のイングランドではなく
フランス内部のカトリック教会でした。



ジャンヌ・ダルクの活躍した英仏百年戦争は、中世と近世との節目であるとされています。
事実、これ以降の歴史は客観的な記録のみに終始し、
ジャンヌのように神秘的なエピソードとともに語られる英雄は登場しないと言っても良いでしょう。
戦争は騎士道を重んじる一騎討ちから、大砲と歩兵を重視する戦術へと移行し、
フランスは諸侯が割拠する時代から再び王家が全土を統一する力を持つようになりました。

そんな時代の移り変わりの中にあって、
本人も無自覚なうちに近代的な軍や国家のあり方を示したジャンヌ・ダルクは、
皮肉にも魔女・異端者という旧時代的レッテルを受けて処刑されます。

しかし、世俗組織化したカトリック教会にジャンヌが打ち込んだくさびは、
やがて教会大分裂から宗教改革というカトリックの権威失墜に繋がっていくのです。



ちなみに文中でカトリックを批判しているのは、
あくまで「当時の」カトリックについてです。念のため。   
タグ :随想浪漫譚



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00屋根裏のアーカイブ

2003年01月01日

青ひげ公爵

性愛におけるサディズムは、突き詰めると破滅衝動に結びつく。
それはなぜかと言うと、相手が最も幸福なときに、
相手の最も嫌がること、傷つくことを的確に選択してしまうからだ。

ほとんどの場合それは、関係そのものの破壊。
殺してしまった鳥からは、もう歌は聴けない。

お互い、ちょっとニブイぐらいが、たぶん一番ちょうどいいのだ。
やれムチだロウソクだと、肉体的な痛みのやりとりで喜んでいられるのは
むしろソフトな部類ではないかと思う。

感性の鋭いサディストは、そうして相手を失うことを繰り返し、
多くの思想家や作家がそうであったように、
その衝動を自分自身や世界全体に向けざるを得なくなって破滅に至るのだろう。
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Posted by 白川嘘一郎 at 00:00屋根裏のアーカイブ