れとろげ。

ファンタジー風創作小説『ようこそ麒麟亭へ』

2007年12月31日

いつか石になれる日

つないだ手は温かな鎖。
 人が形作る迷路に戸惑う僕は、
 いっそ壁を飛び越えてしまえたら、と考える。


「いいえ、私たちはみな動いている。
 立ち尽くす柱はあなたのほう。
 ただ何もない空に手を伸ばして、
 独りで天空を支えるアトラスにでもなったつもり?」


       ――『ウサギエル書』 第四巻9節


◆ 以前、mixiにもしばらく滞在していた時期がある。

 確かにmixiは、様々な人と出会えるところだ。

 以前、小学校時代の親友(と思っていた)を、思いがけない偶然から発見したときは本当に驚いた。
 これが世間を騒がせるSNSの力という奴か。mixiおそるべし。
 さっそくメッセージを送ってみることにした。
 ネットを通じた思いがけない再会で旧交を温める。うん、いい話じゃないか。

 だがしかし……返事は、来なかった。

 ネット社会だ何だと言われているが、
 結局のところ、人付き合いがダメな奴はネットに来てもダメなのだ。   
タグ :暗惨ぶる



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2007年07月31日

そして血は熟成される

幸福が甘い果実なら、後悔は苦い美酒。

 どんな道を選んでも結局は悔やむのが人間なのだから、
 どうせなら深く味わって酔うのが大人のたしなみ。


       ――『ウサギエル書』 第二巻15節



◆ こないだ始まったドラマ『ファースト・キス』の主題歌が小田和正で、
 昔からの大ファンな自分としては嬉しい限り。

 これまで5回ミュージシャンのライブに行ったうち、
 小田和正が2回で、あとがB'zと及川光博と戸川純というぐらいファンです。

 しかしまさかまた月9で小田さんの唄が聴けるとは思わなかった。
 還暦ですよ? 赤いチャンチャンコですよ?
 若いシンガーたちと並んで月9の主題歌とかどんだけ。


 ドラマの内容のほうは、
 ベタベタの甘いラブストーリーを想像させるタイトルですが、
 あえて小田和正を起用するだけあって、内容もかなり我が道を行くトンガり具合でした。ぜひこのまま突っ走っていただきたい。


 まぁ、TVドラマというものが「TVで放映する演劇」だととらえるなら、
 今期は『パパとムスメの七日間』に勝るものはないだろうけど。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2003年03月28日

狼少年よ大志を抱け

「狼が来たぞ!」

 しかし、嘘つきな少年の言葉に耳を貸す者はいませんでした。

「助けて! 今度は本当なんだよ!」

 狼のうなり声が、すぐそこまで迫ってきました。
 村人たちは誰も戸を開けようとはしません。

 少年は初めて後悔しました。
 ああ、僕はなんて愚かだったんだろう。
 嘘をついて他人を騙すなんて最低だ。人間の屑だ。
 きっとその報いが来たんだ。
 こんど生まれてくるときは、正直な真人間になろう……


 と、少年にゆっくり近づいてきた狼が二本足で立ち上がり、かぶりものを脱ぎました。
 いつの間にか家々の戸が開き、村人たちがにやにや笑いながらそれを見ています。
 狼の毛皮の中から顔を出した村長は、少年に向かって言いました。

「嘘だよ、バーカ」


       ――『ウサギエル書』 第八巻32節



▼ 「信頼」って、一体どういうことなんでしょうか。

 一口に「信じる」と言っても、そこには色々な形があると思います。

 おそらく最も多いのは、それまでのその人の言動からかんがみて、
「あの人ならxxxしてくれるだろう」
「まさかxxxすることはないだろう」
 と判断するパターンでしょう。

 しかしこれは経験則というものであって、純粋な信頼とは異なる気がします。
 全く予備知識のない局面に遭遇したときは、相手を信じることは出来ないのでしょうか。
 それに、相手を信じようとするときに、いちいち過去の思い出にすがらなきゃいけないなんて、悲しすぎるじゃありませんか。


 次に多いのが、希望的観測によって「信じる」というパターン。
「信じていないと辛いから」
「信じていたほうが物事が円滑に進むから」
 ……これもまた、信頼という言葉の本来の意味からは程遠いものです。

 では、無条件に相手を盲信することが信じるということ?
 もし裏切られたとしても、許すことまで含めてが信じるということ?

 言葉は確かに存在するのに、100%純粋な「信頼」というもののイメージが見当たらないというのも不思議なものです。


 え、なぜそんなに信頼というものを知りたいのかって?
 嘘をつくときに便利だからに決まってるじゃないですか。   



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2003年03月22日

言葉を紅に色付けるもの

詩うことが唇の価値。

 味わうことが唇の価値。

 重ねることが唇の価値。

 牙を隠すのが唇の価値。


       ――『ウサギエル書』 第七巻10節


● 彼女の声が聴きたい。

今頃どうしているのかな。大山のぶ代さん。   
タグ :随想浪漫譚



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2003年03月17日

されど未だ羽根は舞う

その鳥はただ青い虚空を目指す。
 高く、高く。
 遠く、遠く。

 その鳥は傷ついた羽を休めない。
 もし飛ぶのをやめたとき、
 もう“鳥”と呼ばれないことを知っているから。

 その鳥は帰るべき陸を持たない。
 いつか人知れず力尽きて堕ちるなら、
 空の色を映す青い海に沈んでいきたいと望むから


       ――『ウサギエル書』 第二巻50節



● 「それは孤独で無為で虚しい生き方だよ」と、
 そう人は言うかもしれません。
 それでも、重い肉体から抜け落ちた羽根は、
 高く飛んだ分だけ空を漂い続けるのです。
 いつか人々の記憶の砂に埋もれるまで。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2003年03月15日

YHWH

吾輩は神である。
 名前はまだ無い。
 何でも薄暗いじめじめした所で「光あれ」とか呟いていた事だけは記憶している。

 しばらくして、吾輩に名前を付けて呼んでくれる者がほしくなったので、
 人間という生き物を作ることにした。
 誕生した人間たちは吾輩に名を付け、大いに讃えた。

 それから、書物にすれば数千ページに及びそうな様々な出来事があったが、
 どうでもいいので割愛する。

 やがて、人間たちが吾輩を呼ぶ声があまりにうるさくなってきたので、
 吾輩は耳を塞いで寝ることにした。
 次に起きる頃にはまた静かになっているだろう。



       ――『ウサギエル書』 偽典3章


▼ ♪Y・H・W・H~ 素晴らしい Y・H・W・H~
 (爆弾とか送ってこないでください)


 最近の流行りなのか何だか知らないが、
 アニメやら漫画やらゲームやらのタイトルで、
 ひらがなもしくはカタカナ四文字のあとに「っ」とか「!」とか付けたタイトル、
 もういい加減にして欲しい。
 区別が付かないから。

 ひどいときは中身の絵柄を見ても区別が付かない。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2003年03月08日

世界は孤独で満ち溢れている

「寂しさ」とは、空虚を認識する能力のことだ。
 能力である以上、物の見方や感じ方が人それぞれ違うように、
 1億の人間がいれば1億の孤独がある。

 あなたの目の前にあるその空虚は、
 他の誰かの居場所なのかもしれない。


       ――『ウサギエル書』 第四巻14節   



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2003年03月07日

ゼンマイ仕掛けの魔法

人形のようにお生きなさい、と母は言った。
 穢れも老いも知らぬまま、美しく。
 私は腕を取り替えた。
 それは白くて綺麗な腕と。
 
 人形のようにお生きなさい、と父は言った。
 決して涙を流すことなく、常に笑みをたたえて。
 私は瞳を取り替えた。
 透き通った綺麗な硝子玉と。
 
 人形のようにお生きなさい、と彼は言った。
 歩いて何処にも逃げられぬように。
 私は脚を取り替えた。
 冷たく細い綺麗な脚と。

 人形のようにお生きなさい、と誰もが言った。
 私は心を取り替えた。
 痛みを感じる装置を捨てて、
 手に入れたのは永遠の幸福。


       ――『ウサギエル書』 第十四巻7節

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● 私は人形好きですが、ブライスやスーパードルフィーのように
 最初からいかにも愛玩用に製作されました、みたいな人形にはあまり萌えません。

 たとえばお店のマネキンや、デッサン人形や、
 見世物に使うパペットやマリオネットのような、
 目的ある道具としてつくられたものが好きです。
 そんなのが、用済みとなって廃屋に放置されていたりすると最高ですね。怖いけど。

 人の似姿を持ちながら、愛することも愛されることも知らず、
 ただ凍った時間をその身に刻み続ける。
 個人的にはそれこそが、人形というものの不思議な魅力だと思うのです。


 そんな様々な人形たちの中でも、とりわけ異質な存在が“自動人形”でしょう。
 時計やオルゴールで培われた技術を取り入れ、ギミックによって動く人形です。
 音楽を奏でたり、ダンスをしたり、ペンで字を書いたり……。
 機能的なようでもあり、芸術的なようでもあり、技巧的なようでもあり、
 これ以上ないほどの確かな存在感を持ちながら、どうにも掴みどころが曖昧なオブジェ。

 最初、呪術の道具として生まれた人形は、
 宗教を経て芸術彫刻となり、あるいは家庭に入って愛玩具となりました。
 その一方で、道具としての人形に対する余計な思い入れを排したまま
 何らかのテーマを表現しようとして行き着いたのが自動人形なのではないでしょうか。


 歯車とゼンマイから紡ぎ出される旋律と舞踏、
 つくりものの箱庭の中で、偽りの法則によって語られる真実のこと。

 今夜も彼らは、愛することも愛されることも知らぬまま、
 同じ愛の物語を何度も機械的に繰り返すのでしょう。

 人を模してつくられたのが人形なのならば、
 実はそんな姿もまた人間の投影なのでしょうか。




※ガンダムなどのフィギュアも大好きです。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2003年03月06日

迷える子羊と迷える羊飼い

ああ神様、もしこの世におられるのなら
 ひとつだけ願いを叶えてください。

 ……そのツラ一発殴らせろ。


       ――『ウサギエル書』 偽典16章


▼ 聖人とは、生涯に渡って迷い煩悶しつづけるからこそ聖人なのだと思う。
 自信ありげに救いを断言してみせるような輩は、
 詐欺師か妄想家の類だと昔から相場が決まっている。
 なのに人々がすがるのはたいがい後者だ。


 そのうち、ファンタジーRPGに登場する僧侶のアビリティが
 回復や治癒から、洗脳とか金儲けとか強制改名とかに変わる日も近いかもしれない。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2003年03月05日

従属の鎖は相手の身をも縛るということ

真っ赤に熔けて輝く鎖の環を
 「綺麗だね」と二人で繋げていって、

 今ではもうその先端は切れていると知っていて
 どこへだって走って行けるけど、

 冷えた鉄の鎖はまだ
 引きずるたびに耳障りな音を立てる。
 


       ――『ウサギエル書』 第十三巻37節



● 私はメイドが好きだ。
 それも昨今の軽薄なブームの影響などではなく、
 中学時代からの筋金入りの萌えだ。

 当然、メイド喫茶のキャピキャピした店員など論外。
 私が求めるのはあくまで19世紀英国ヴィクトリア朝や、
 明治・大正の文明開化日本のメイドである。

 何より自分自身もまた、メイドを付き従えるのにふさわしいような

 「ちょっと気難しくて屈折してるけど根は優しくて、
  日がな書斎に閉じこもって本ばかり読んでいるような
  和服と礼装が似合う旧家の若主人」

 的キャラになれるよう日々努力を惜しまない。
 そこが巷の凡百のメイドさん好きと私との大きな違いだ。


 そしてもちろん、若いうちに何とかして一山当て、
 郊外の古びた洋館を手に入れるつもりである。
 目指すその夢のために、私は生きている。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書