れとろげ。

ファンタジー風創作小説『ようこそ麒麟亭へ』

2008年12月19日

ジレンマのないヤマアラシ

寄り添えばそのトゲで相手を傷つける。

 「――だったら寄り添わなければいいだけの話じゃないか」

 ヤマアラシは一匹でお花畑の中へと歩いていきました。
 綺麗な花に囲まれ、ヤマアラシは幸せでした。

 お花畑の中を歩いているといつの間にか、
 気付かぬうちにヤマアラシのトゲには
 花がたくさんくっついていました。

 花を背負ったヤマアラシを見て、皆は遠くから
 「綺麗だね」「面白いね」と楽しそうに笑いあいました。
 ヤマラシはとても、幸せでした。


            ――『ウサギエル書』 第二巻7節


哲学者ショーペンハウアーが書き記した寓話に
心理学者フロイトがご大層な解説を付け、
エヴァンゲリオンで一躍知られるようになった「ヤマアラシのジレンマ」

と言っても、ヤマアラシという種が現存するということ自体が、
どんなに鋭いトゲを持っていようとも、生殖行為に支障はないという証明なんですけどね。


言葉には人を傷つけるチカラがある。それは確か。
ましてインタァネットが進歩した昨今、
それはもうミサイルのごとく遠距離で広範囲で無差別な攻撃が可能になってしまい、
現実世界同様に「撃つと撃ち返されるので撃たない」という緊張状態を抑止力とするやり方が主流に。
それに比べれば、ちっぽけなヤマアラシ1匹のジレンマなんて些細なものです。


トゲが届く距離にいられるというのは、幸せなコトだよ。


ハリネズミ
  


Posted by 白川嘘一郎 at 14:18Comments(0)ウサギエル書

2008年10月30日

忘れものを、忘れてきました

失くしたんじゃない
 忘れたんじゃない
 捨てたんじゃない

 ただそこに置いただけのつもりだったんだ
 帰り道がわからなくならないように
 目印になるように

 帰れないなんて思いもしなかったんだ
 ここで朽ち果てるなんて考えもしなかったんだ


 僕が君のしるべだったんだね。


            ――『ウサギエル書』 第十一巻18節




昨日は大阪に行って帰ってきましたが、
東京や他の地方に引っ越した関西人が懐かしむものは何でしょう?

大阪と言うと、たこ焼きやお好み焼きを思い浮かべる方が多いかもしれませんが
それらは今や全国どこでも食べられます。

答は、餃子の王将551の豚まんです。

王将
王将は関東にもあるじゃないかと思われるかもしれませんが
分布濃度が全く違うのです。
関西の都市部では王将は各駅1店舗ぐらいの割合で存在し、
場所によっては駅の北側と南側と東側に1軒ずつあったりします。

あと、個人的にはこれが非常に重要かつ深刻な問題なのですが
私の好物であるところの天津飯の味が違っています。
関東では甘酢の“あん”が主流なようなのですが、
初めて食べた時の衝撃とガッカリ感ときたら、
ジャンプで「P2!」が打ち切られたときと同等でした。
最近では店舗によって“塩だれ”のものを出してくれますが、
やはり関西のあのダシと醤油の味付けとは違うのです。

(ちなみに天津飯は日本料理です)

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Posted by 白川嘘一郎 at 19:00Comments(7)ウサギエル書

2008年10月24日

破滅への転調とその音階

どこかで硝子の割れる音がする。

 彼は嘆く。二度と還らないものの喪失を。
 彼女は怯える。散らばった見えざる破片の鋭さに。
 私はただ記憶する。その一瞬だけの透き通った音色を。


            ――『ウサギエル書』 第三巻22節

 

 今年の漢字はやっぱり「毒」が第一候補ですかね。
 一年通してこの手の話題は尽きることなかったし、ふさわしいと思うんだけど、でもこれ10年前にいちど使っちゃってるんだよね。カレー事件の年に。

 かぶるのを避けるとしたら、混入・混沌、あと政治や野球の混戦に世界経済の混乱を踏まえて「混」とか?

 でも「毒」の文字のインパクトは今年にこそふさわしい気がするなぁ。
 あと恐慌・恐怖の「恐」とか。

  



Posted by 白川嘘一郎 at 16:56Comments(3)ウサギエル書

2008年07月26日

賽ははるか昔に投げられた

コインが決めるのは表と裏。
 ダイスが示すのは1から6の数字。
 面の数を増やすほど球体へと近づき、
 いちど転がせば容易には止まらない。

 瞬間ごとに無数の運命を生み出しながら回り続けるこの星の上で、
 どの目に何を賭けていくのか。
 結末の日がいつなのかも知らぬままに。


            ――『ウサギエル書』 第五巻5節

 

 私たちが子供の頃に思い描かされていたような、
透明のチューブの中をエアカーが走り、人々は銀色のスーツに身を包む、
そんな未来社会はやっては来ない。

 現在しきりに叫ばれている地球温暖化、
CO2を削減するにあたって究極にして最も単純明快な手段は、人間を減らして植物を増やすことだと思うのだが、
前者の手段はいろいろと問題があるので、残るは後者ということになる。


 百年後、一流企業や役所などのビルは壁一面をびっしりとツタで覆われ、
夏にもなれば色とりどりのアサガオなんかが咲き乱れ、それはもうファンシーなのだ。

 人々の間では帽子の脇にミニサボテンを飾るようなファッションが流行し、
車の屋根にはパンジーやタンポポが花開く。

 生まれ来る子供たちよ、これが君たちが迎える未来社会の姿なのだ。

モリゾー&キッコロ

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Posted by 白川嘘一郎 at 22:32Comments(2)ウサギエル書

2008年07月16日

枯山水、とれび庵

むかし、ムッシュありけり。
 あひけるマダム、徒らになりにければ、詠める、

  叩くとて モナムーの戸を開けたれば
  人もこずゑの カナルなりけり
  
 ジュテーム、ジュテーム、五劫のすりきれ。


       ――『ウサギエル書』 偽典21章


(現代語訳)
とある男が、愛する人を亡くしたときに詠んだ歌

 「叩く音が聞こえたような気がして
  部屋の戸を開ける。いつも君が来ていたときのように。
  けれどもそこには誰もいない。ただ梢の上で水鳥が啼いているだけ」

三千年に一度、天女が下界へ降りて来て、下界の大きな岩をそのやわらかい衣で撫でる。これを長い年月かけて繰り返すうち、とうとうその岩が擦り切れてなくなってしまう。 この長い、気の遠くなるような時間を「一劫」と言うが、それを五回繰り返すほどの時が過ぎようとも、愛しているのだ。



 元ネタは『拾遺和歌集』の詠み人知らずの歌だったと思うけど、
掛詞などの技法はさておくとして、
 1000年前の人間が作った歌なのに、「その気持ち、わかる」とうなずきたくなってしまうほど情景が頭に浮かんでくるよね。
 それほどの喪失感を、感情を示す語をいっさい使わずに情景の描写だけで表現しているのを見ると、日本人って本当にすごいなと思う。


 そしてそれをパロって台無しにする私。

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Posted by 白川嘘一郎 at 16:57Comments(0)ウサギエル書

2008年07月07日

織姫と黒星

戦うためには剣が要る。
 剣を握れば手が塞がる。
 ゆえに人は何も守れない。
 ただ、奪い、奪われるだけ。

 ひとつだけ、君が最後まで守り通せるものがあるとしたら、
 それは、手の中にあるその剣だけなのだ。


       ――『ウサギエル書』 第七巻3節


▼ こんばんは、負け犬です。
 負け犬は、負け犬小屋に帰って
 負けドッグフードを食べて眠ります。遠吠えをしながら。

 そんなとき、負け犬としての自分の犬種はなんだろう、と考えると少し気分が晴れるのです。

 僕は負けシベリアンハスキー。   
タグ :暗惨ぶる



Posted by 白川嘘一郎 at 19:19Comments(0)ウサギエル書

2008年07月05日

青い鳥にまつわるいくつかのFAQ


■「青い鳥は自分が飼ってました。」 めでたし。めでたし。

□ そんな事もありましたが今はカゴはからっぽです。

■「青い鳥は、あなたの遥か後ろで死にかかってた。」

□ そうかもしれません。
 あまりにも多くの物に気づかず通り過ぎてきてしまいました。

■「青い鳥はあなたの心の中に住んでいます。」

□ では将軍さま、私がこの縄で捕らえますから早く青い鳥を心の中から追い出してください。

■「青い鳥はあなたの手を離れ元気に羽ばたいてます。」

□ それは良かった。
 いつか空から一枚の青色の羽根が舞い落ちてきたとき、そのことを思い出すでしょう。

■「青い鳥は様子を窺っている。」

□ 泣かぬなら殺してしまえ青い鳥。

■「青い鳥を捕まえたと思ったらただのカラーヒヨコでした。」

□ そのヒヨコがやがて成長し青い卵を生まないとは、誰にも断言できないのです。


       ――『ウサギエル書』 第一巻64節



 私の青い鳥ですが、少し臭味があるものの美味しかったです。

 しょせん幸福なんて、明日を生き抜くための一時のカロリー。
  



Posted by 白川嘘一郎 at 12:00Comments(2)ウサギエル書

2008年06月23日

流浪という名の拘束

自分探しの旅、などとよく言うけれど、
 自分も見つけられぬ者に旅など出来るはずもない。
 それほど旅とは過酷なものだ。

 帰る家を持たずさまよう者、
 向かうべき場所を知らずさまよう者、
 向かうべき場所を知ってはいても
 そこに向かう術が判らずさまよう者、
 はたして最も不幸なのは誰?


       ――『ウサギエル書』 第八巻47節



● 私、いわゆるテキストサイト全盛期の少し前あたりから
サイトを作ったり消したりしつつネットの海を流浪して、
一時期SNSなどにも登録していたものの面倒くさくなり、
そろそろ本腰入れてブログでも始めなきゃならんなぁ、などと考えていた折に
ひょんなことからこの「オタクの電脳blog」と御縁が出来まして
庵を構えることと相成りました。
よろしくお願いいたします。(誰もいない部屋で壁のシミに向かって)

ブランクが半端じゃなく長かったので、ウサギエルってなんだよとか
プロフィールの写真は何なのかとか、そもそもいったい何者なのかとか
ツッコミどころは多々あるかと思いますが、
投げっぱなしが基本なので気にするだけ損というものです。


ところで最近じゃ「ジプシー」も差別語だとか言われて怒られたりするのかしらん。
最近ではそれで「ロマ」と呼ぶらしいけど、呼び方変えりゃいいってもんか?
 便所→御不浄→御手洗→化粧室
みたいに、意味が定着しだすと別の忌み語に置き換えるというパターンを続けていくのですか。

形式や形状が流浪流転しているように見えても、
本質というものは、きっとずっと同じところにあるのでしょうね。
と、綺麗にまとめてみたよ。(ベッドの下の輪郭のない気配に向かって)   



Posted by 白川嘘一郎 at 12:23ウサギエル書

2008年06月09日

我が逃走

明けない夜はないと言うが、
 暮れない昼も存在しない以上、
 それはただの気休めでしかない。

 永劫に巡る昼と夜の中で、
 我らに与えられる選択肢はただ、
 瞳を開くか閉ざすか、それだけだ。


       ――『ウサギエル書』 第五巻8節


▼ いつからだろう。未来だの希望だの、ポジティブな単語ばかりがもてはやされるようになったのは。
 まるで悩むことや逃げることが悪であるかのようだ。

 文学・音楽・絵画など芸術の多くは、環境や運命や自己に対する苦悩と逃避から生まれる。
 技術や発明にしたって、大半は苦労や貧困からの逃避のためだろう。

 それでもなお世間は、ひたすら夢に酔うことだけを無責任に推奨する。

 涙の数だけ強くなろうと、
 世界の中心で愛を叫ぼうと、
 もともと特別なオンリーワンであろうと、
 人生には叶わない物事のほうが多い。

 それを踏まえた上で、それでもなお足掻きながら見続ける夢は美しいものだけど、
 最近起こる事件の大半は、そういう
“諦めなきゃいけない一線”の見極めが出来ない人が起こしているような気がする。

 と言うかそれ以前の問題として、“夢と希望”と“利己的な欲望”とを混同しているのかな。

 子供向けアニメの主人公たちも、夢や希望ばかり守らず、
 苦悩や絶望もきちんと守っていってほしい。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書

2008年01月01日

バベルの耐震偽装問題

言葉はあなたに届かない。
  遠くへ飛ばすには重すぎるから。
 言葉は空に残せない。
  雨に打たれて消えるから。
 言葉は海に流せない。
  それはあまりに毒だから。
 言葉は私に届かない。
  そのわけを訊く術もない。


       ――『ウサギエル書』 第四巻5節

 巷じゃこうやってブログがSNSが流行だとか、Web2.0がどうとか騒いでいましたが、
本質的にはけっきょくパソコン通信時代のフォーラムに戻っただけなんじゃないの、という気も少しします。
 長屋だったのがエレベーター付きの高層マンションに変わっただけで。


 長屋がいちど取り壊されてからの広い空き地で旅芸人たちが、
通行人に向かって気ままに芸を披露していた時代のほうが居心地が良かった。


 もちろん、そんな空き地は今もまだ何処かにはあるのでしょうけどね。

 あと反撃のつもりでクロスカウンターくらったどこぞの2.0も早くバージョンアップしたほうがいいと思う。   



Posted by 白川嘘一郎 at 00:00ウサギエル書